
夜空をあおぐ星親子、大リーグ養成ギプス、壁の穴を通すボール、
甲子園での血ぞめのボール、陰から見守る明子等々…
巨人の星は前半部ばかりが有名な気がします。
でも私は、あまり有名ではないし、
『人間関係の絡み合い・やさぐれっぱなしの青年飛雄馬が
たまらなく嫌だ』ともたくさんの方に云われ、
支持者もとてもとても少ないことと思いますが、
オズマ登場での野球人形の目覚めをきっかけに
飛雄馬の青春が始まる巨人の星後半部が大好きです。
なぜならそこには巨人の星の大切なテーマのひとつ、
『 自 立 』が、熱〜く熱〜く語られているから。。。
巨人の星には様々な飛雄馬のライバルが登場します。
前半から登場する花形、左門から後半から登場するオズマ、
そして伴、最終的には父・一徹。
妥当に考えれば、巨人の星は、
飛雄馬と一徹ふたりの親子の戦い物語と言えるでしょう。
しかし、私は、原作巨人の星後半で飛雄馬が戦っていたのは、
息子を成長させるがために彼の父・一徹の与えた試練…ではなく、
彼が成長するにしたがって彼自身の心の中に表れた、
幼い自分自身が父から離れようとする気持ち、
すなわち『プロ野球選手を続ける限りはちいさな身体を酷使し、
父の与えた野球技術の中で生きていかなければならない、
つまり永遠に父親離れできずに
大人になることができないという父の与えた呪縛と戦う』
…という飛雄馬自身の自立意識であったように思えてなりません。
『巨人の星』は一見、主人公を成長させようとする父親を描きながら、
しかし一旦思春期真っ盛りの飛雄馬自身になりきって読むと、
自分という息子に対し、
成長を禁じる父親が背後に存在していたように思えます。
そんな飛雄馬が自らの意識の中で『成長』するためには、
つまり父親の呪縛から逃れるには、
自らを破滅させるしかなかったのです。
飛雄馬は左腕を破壊するというかたちで、
プロ野球選手としての死を自らの肉体に課し、
そして野球という場から降ります。
これが巨人の星最終回の結末、
飛雄馬のひとつの『自立』の形です。
いわば父の物語から外部へと離脱するのです。
しかし飛雄馬は続編新巨人の星でカムバックしてしまいます。
そういう内容では、
野球人形はやはり野球人形の運命を生きるしかなかったのか?
飛雄馬は結局一徹から自立できなかったのか!?とも思えます。
事実そう考えている人には、この新巨人の星のストーリーは、
駄作に思えるでしょう。(売るために無理矢理描かれた等。)
私も初読時からしばらくはそう思っていました。
しかしそれからしばらくして、
私自らも急病等ゴタゴタで同人などを休止している期間に、
私生活で生まれて初めての激しい挫折を経験したことで
(その後周囲の協力もあって立ち直った後に)
親に反発するだけの独り善がりで時代遅れなロマンだけでは
人生は語れないという、いろいろな現実の事情を悟ってしまい、
巨人の星の読み取り方が以前と少し変わりました。
一番大きいのが、この新巨人の星についてのとらえかたです。
現在では、私は、この新巨人の星の大人飛雄馬は、
父の支配から抜けることの出来ない自分に『妥協』したのではなく、
5年の放浪の末、『受け入れた』んだ!!!と考えています。
この『受け入れ』こそが飛雄馬が自分なりに考えてたどり着いた結論。
生まれてきてきてから今までの、一徹を憎みつつも大好きだった、
変えがたい自分自身を、ありのままを受け入れるという悟りの境地。
親を否定して離れるだけでなく、そういう境地にたどり着いて、
ようやくいままで自分を育ててくれてありがとうと
親や周囲の人たちに感謝すること。
親を、自分から切り離された他人・一個人として
ありのままの姿を受け入れること、
それこそが、本当の意味での『自立』なんだ!!!といいたいです。
私自身がそうでしたので;
そんな新巨人の星の飛雄馬にピッタリな歌があります。
槇原敬之『どんなときも』です。
中から歌詞をいくつか抜粋します。
♯もしも他の誰かを知らずに傷つけても
絶対譲れない夢が僕にはあるよ
昔はよかったねと いつも口にしながら
生きていくのはほんとうに嫌だから
♯どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
好きなものは好きと 言える気持ち抱きしめたい
どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから
でもこういうこと熱っぽく語られても、
やっぱ分からん人は…分からんと思うが;
…分かる人だけ分かってくれよな!!!
以上持論でした!!長文すみません!!
追記:(08年7月18日)
新巨人の星読み返しました。
現時点で、大人飛雄馬の気持ちの読み取り方に
結構ズレがあるな〜;;というか、
この記事自分ワールド全開で大変恥ずかしいです::
でもネバーギブアップ!
大人飛雄馬については追々、再度語り直したいです。